蓮阿諱は成譽、便蓮社と號した。河内石川村廣谷氏の子である。【旭蓮社二十四世】十歳剃髮して增上寺に上り、旭蓮社第二十四世に住持たること二十六年、(墓誌)是より先、第二十二世便譽は、同寺の廢頽を慨き、淨財を募緣し、正保四年八間四面の本堂及び其他の堂宇を竣成した。然るに星霜を閲すること八十餘年、諸宇再び壞廢した。【堂宇の再興】是に於て成譽は、再興修復の功を起し、猶本堂を擴張せんとし、奉行所の許可を得、爾來日夜其經營を圖つて遂に大業を成就し、莊嚴なる十一間四面の本堂及び諸宇を再建し、佛器佛具をも具備し、元文五年八月落慶禮讚の供養を執行した。【旭蓮社緣起選述】其後、曩きに寬保二年三月第十九世聖譽玄恕闢くところの、所謂常修不斷念佛三萬日の囘向を勤修し、又同寺の舊記を校訂し、創立以來歷代の行實、什寶の由緣、慧遠正流の法務及び格式等、之に私見を加ふることなく、凡事實の分明なるものを選定輯錄し、同年十一月完成した。卽ち旭蓮社緣起上中下の三卷である。(旭蓮社緣起)寶曆七年正月十八日示寂した。世壽五十八、法臘四十八。【墓所】同寺の兆域に葬り、便蓮社成譽蓮阿獨玅長順上人と諡した。(墓誌)