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目次
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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一〇〇)融谷宗通
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宗通字は融谷、京都の人。法を德禪寺の石門宗巨(宗巨は法を德禪寺の策玄宗勳に嗣いだ。黃梅院の十二世、堺
禪通寺
の十三世に當る。宗勳は法を
恭山宗良
に嗣いだ。黃梅の十一世、禪通の十二世に當る)に嗣いだ。(龍寶山大德禪寺世譜)【
大德寺
住職】寬政八年二月
大德寺
第四百九世となつた。(紫巖譜略、龍寶山大德禪寺世譜)【
禪通寺
十四世】黃梅の十三世、禪通の十四世となり、文化二年四月朔日世壽五十九歳を以て示寂した。(龍寶山大德禪寺世譜、增補正燈世譜)