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(一二八)春日 鼎

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 鼎は舊備前藩士春日蕙山の女で、父に伴はれて大阪に移つた。【土肥治輔の妻】年二十堺奉行所の與力土肥治輔に嫁し、善く姑に事へた。【貞節】既にして三十六歳夫を亡ひ、子無きを以て生家に還り、其母に侍した。【佛道に入る】遂に佛道に入り、白鳳和尚に就いて剃度し、智鏡と稱した。又兵庫祥福寺の匡道和尚に參禪すること數年、一日忽ち恬然として契悟した。【墓所】安政六年七月朔日享年五十三歳を以て歿し、大阪天滿東寺町龍海寺に葬つた。法諡を靈光院明臺智鏡尼上座といふ。(墓誌)