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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一四五)近藤隆昌○華溪
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【南紀の人】
近藤隆昌
諱は章、
華溪
と號した。【醫名あり】南紀の人、本姓は水野、幼にして業を近藤宗賢に受け、其姓を冒した。配は植木氏。堺に來り、醫を業とすること三十餘年、方術を盡して患者に接した。【著書】
古方類苑
の著があり、又
藤氏方選
がある。【韓客と唱歌す】儒學を好んで硏鑽頗る深く、韓客來朝に際し、之を旅館に訪ひ、應酬した。六十五歳の時遺命して、歿後其行實を石に勒せよと云ひ、寬政九年二月卒去した。【墓所】
靈法寺
(中之町東二丁)に葬り、其次子隆昌墓表を撰した。(
華溪
近藤隆昌
墓碑錄)