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(一五二)吉雄良琢

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 吉雄良琢は獨松庵と稱し、(墓記)醫を業とし、交を文雅の士に結んだ。【旭莊と交る】廣瀨旭莊の來堺に際し交誼を重ねた。(日間瑣事備忘)弘化三年九月二十三日逝去。【義子通喬】義子通喬は玄素と稱し、宿屋町中濱に住して、同じく醫を以て業とし、頗る名聲があつた。(日間瑣事備忘、左海人名錄、墓記)【墓所】文久元年三月二十八日行年四十八歳を以て歿し、(墓記)父子共に大安寺の兆域に葬つた。