ビューア該当ページ
目次
/
第一編 人物誌
/
第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一五二)吉雄良琢
299 ~ 299 / 897ページ
吉雄良琢
は獨松庵と稱し、(墓記)醫を業とし、交を文雅の士に結んだ。【旭莊と交る】
廣瀨旭莊
の來堺に際し交誼を重ねた。(日間瑣事備忘)弘化三年九月二十三日逝去。【義子
通喬
】義子
通喬
は玄素と稱し、宿屋町中濱に住して、同じく醫を以て業とし、頗る名聲があつた。(日間瑣事備忘、左海人名錄、墓記)【墓所】文久元年三月二十八日行年四十八歳を以て歿し、(墓記)父子共に
大安寺
の兆域に葬つた。