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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(一五六)山本道策
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山本道策
諱は重、字は仲遠、
靜齋
と號した。【阿波の人】【家系】阿波板野郡高房村天羽喜八郞の三男、其先は大和國宇陀郡天羽城主天羽攝津守清綱から出てゐる。【堺の山本謙造に師事す】長じて醫生となり、堺に來り、(墓誌)筠齋山本謙造に師事し、(墓誌、左海人名錄)山本氏を冒し、其女を娶つた。(墓誌)道策
廣瀨旭莊
と交り、詩文を能くした。(日間瑣事備忘)【墓所】元治元年十月二十三日享年六十一歳を以て歿し、
南宗寺
の塋域に葬り、私諡して斯至院有恆思
靜齋
居士と號した。(墓誌)