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(一七七)草加驪川

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 草加驪川名は親賢、字は玉衡、通稱は目下五郞左衞門、與々如軒と號した。(草加驪川壽藏碑銘、難波丸綱目)【備前の人】【著書】備前の儒者で、伊藤蘭嵎に學び、(老圃歷史)讀周禮四册、讀儀禮二册、讀書隨筆六册、文行忠信解一册、東儀等の著作がある。(慶長以來諸家著述目錄)南宗寺本源院の墓地に、安永七年に建てた壽藏碑があり、碑面に與々如軒穆風義扇居士と見え、碑陰の銘は乾隆四十三年(安永七年)冬至、清儒林朝鎬の撰文で、同じく程赤城の書になつてゐる。【墓所】寬政二年八月四日大鳥郡(現泉北郡)深井村稱讚、寺に於て歿し、本源院の兆域に葬つた。(老圃歷史)