ビューア該当ページ

(二二七)土佐光則

363 ~ 364 / 897ページ
 土佐光則は通稱を源左衞門尉と稱した。(光則位牌、養德錦顯文鈔)【光吉の男】土佐光吉の男である。扶桑名工畫譜に或は光吉の弟なりとも云ふ。(續本朝畫史卷之下)【堺に住す】堺に住し、家法を守つて人物花鳥を能くした。後薙髮して法號を宗仁(一説に宗愬、宗思又は宗任に作る)と號した。寬永十五年正月十六日卒去、享年五十六。(續本朝畫史卷之下)【寶樹寺の靈位】中之町東三丁寶樹寺安置の靈位に、歸元宗仁信士靈位、寬永十五寅正月十六日源左衞門尉光則と見え、こゝで終つたものゝやうである。(光則位牌)【作品】著名の作品には源氏小扇五十四枚、舞樂屛風、蘆雁屛風、宗鑑贊の人丸像等がある(圖參考)光則祖先追福の爲めに、永代經月牌供養として、寶樹寺の庫裏に大修繕を加へた。(寶樹寺記錄)增訂古畫備考に妙國寺に墓所があると見えてゐるが明かでない。