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(二四三)菅 奇淵

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 菅奇淵花屋庵又は大黑庵と號した。【堺の俳人】【三柳の門人】堺の人、大阪に住み、(近畿墓跡考)俳道に力めて不二庵二柳の門に入り、盛名を馳せた。(浪速俳諧系譜、近畿墓跡考、花屋日記考訂餘言)高弟に花屋庵鼎左がある。(浪速俳諧系譜)奇淵は翁反故を校合し、且つ頭註を加へて居る。【松風の會式を興こす】曾て芭蕉翁が九月二十一日に、清水浮瀨の茶店に遊んで、「松風の軒をめくりて秋くれぬ」の咏吟があつた因みによつて、每年其日には浮瀨四郞右衞門の亭で、松風の會式を行ふた。(花屋庵奇淵校、苞蕉翁反故上)【著書】著書に奇淵七部集俳諧四季類題いろは引俳諧四部集芭蕉袖草紙等がある。(大阪名家著述目錄)天保五年五月十八日大阪で沒した。享年七十三。(近畿墓跡考)【墓碑】上本町六丁目寶樹寺に墓碑がある。碑面法眼菅奇淵之墓の八字は門人鼎左の書で、麗巷社中の建てたものである。