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(二五九)奈良屋道汐

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 【最初の絲年寄役】奈良屋道汐は慶長九年伏見城に於て、德川家康より絲年寄役を命ぜられた堺商人十名中の一人である。(絲亂記、絲割符由緖書、元祿八年手鑑)【曼荼羅の奇瑞】傳へ云ふ、道汐は、日蓮宗の信者で、嘗て日蓮眞蹟の曼荼羅を藏したが、元和年中之を携へて、東國の靈場順拜の旅程を辿り、歸路近江の矢橋を渡航の際、天候激變烈風、舟將に覆沒せんとするに當り、曼荼羅を水中に投じて祈り、忽ち平穩に歸し、衆皆再生の恩を謝した。然るに、其夜大津の客舍で夢想を得、翌朝鯉魚を賣るものゝ咽中より之を收むるに及び、靈驗を私せず、之を法華寺に寄進した。【鯉の曼荼羅】是れ卽ち鯉の曼荼羅と稱せられ、現に同寺の什寶となつて居るものであると云はれてゐる。(鯉の曼荼羅緣起)寬永七年四月二十八日歿し、諡して清波道汐といふ。(法華寺過去帳)【墓碑】同寺に墓碑がある。子宗惠家を嗣ぎ、同じく絲年寄となつた。(元祿八年手鑑)