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目次
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第一編 人物誌
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第三章 爛熟期(大阪陣より明治維新迄)
(二六九)益山宗林
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【堺の人】
益山宗林
は堺の人。【海外に渡航す】寬永十一年七月十五日海外に渡航し、雄圖空しくして遂に異域に歿した。遺族は解纜の日を以て忌日と定め、諡して禪定院宗林日惠と云ひ、冥福を祈つた。室妙清は寬文十二年九月十三日歿した。後裔益山宗壽永く精靈を弔はんが爲め、墓碑を
妙法寺
の兆域に建て、宗林夫妻の法號を鐫刻した。宗壽は
天保
十年十一月二十五日歿してゐる。(墓誌)