ビューア該当ページ

(二七一)小田助四郞

398 ~ 399 / 897ページ
 【三河の浪士】小田助四郞はもと三河の浪人で、德川廣忠の命を受け商人となり、【諸國の形勢を探る】諸國の形勢を探つたが、家康の代に及び、更に後藤光次等と謀り、間者となつて諸國に潛行した。後家康の命を受け、【支那に抵りの製法を傳習す】支那に渡つて形勢を窺ひ、滯留中水銀山に於て燒の法を傳習して歸朝した。【朱座の頭梁となる】慶長十四年堺に朱座を置かるゝに及び製造の特權を與へられた。(朱座由緖書)【子孫朱座を通姓とす】子孫職を繼ぎ朱座を通姓とし、助左衞門を襲名し、(元祿以降代々手鑑)柳之町大道に住した。(元祿二年堺大繪圖)