【堺の人】
唐物屋久兵衞は堺の北町に住し、鑄物師の名家であつた。祖先は佛具師であつたが、【唐鑄物の名工】家道衰へたるを以て鑄金は何によらず製作した。(
全堺詳志附錄)裝劍奇賞にはクワラ、スヒガラアケの類、唐物鑄物の根附ありと見えて居る。(裝劍奇賞卷之七)製品の金色、地紋の調子、全く唐物を欺くの名手で、獨特の技能を有してゐた。斯して王侯貴紳京阪の骨董商等は、【性行】高價を競ふて作品を需めたが性酒を嗜み、泥醉して業を力めず、貧窮を顧みず意に滿たざるときは製作せず、所謂名人氣質の橫溢するものがあつた。(
全堺詳志附錄)【作品】作品中の大作と見るべきものは、今
菅原神社の山門に懸つて居る金燈籠で、享保十九甲寅十一月吉日、鑄工、泉州堺住、
唐物屋久兵衞常信作の銘文がある。
第七十八圖版 唐物屋久兵衞作燭器