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(二九五)麻野彌藏

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 麻野彌藏諱は秀永、山岡宗無の男で、家名を繼いで酒造を業とし、通稱住吉屋總右衞門と稱し、柳之町に住した。遁世して藏之坊と號し又宗位と稱した。(麻野家系圖)【鼓の名手】當時鼓の名手であつたが、技能を矜らず、人に接すること頗る溫柔で、何の能もないやうであつたが一度鼓を手にすると、妙音鼕々として人を魅了した。(澤庵和尚鼓の贊)喜多七太夫と會する每に能く謠の相手となつた。曾て禁裏、仙洞兩御所に於て御能の催のある每に、召に應じて之を勤め、正親町帝より彌左衞門作の銘ある鼓筒を下賜せられた。三宅亡羊とは無二の親友であつた。當時諸侯伯之を招いて、妙技を賞するものが多かつた。(麻野家系圖)【澤庵其技術に感ず】元和五年澤庵宗彭も亦一日妙音を聞き、絶妙の技に感じ、讚偈及び一文を草して贈つた。偈に云ふ、「佛魔倒退三千里、一拍一聲含妙理、□々○々鼓若浪、爾來十日猶在耳。」と。(澤庵和尚鼓の贊)元和九年正月二十四日歿した。法號を釋宗位といふ。(淨得寺過去帳)

第八十圖版 澤庵鼓之文