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(二)沼田 龍

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 沼田龍諱は義信、通稱は龍、【十津川の人】文政十年九月大和國十津川村に生れた。容貌魁梧、性朴直大義に明に、【勤王の功】少壯志を立てゝ勤王に力めた。文久以降海内多事の際鄕士を督して、勤王の諸藩と共に京師を守つた。明治戊辰の役亦鄕士を指揮し、事平ぐに及び朝廷其功勞を賞して金圓を下賜した。(沼田君墓表(晚晴樓文鈔下))【堺縣官となる】既にして職を堺縣に奉じ、明治六年二月權大屬より六月大屬に進み、勸業課長となり、警部を兼ねた。(明治六年、同十一月官員錄)龍恪勤精勵曾て參廳を闕かず、其疾むや、税所縣令屢々病床を訪ひ、衆醫を招いて、治療の方を盡したが、終に起たず、明治十二年一月二日享年五十四歳を以て歿し、【墓所】正法寺(中之町東三丁)の塋域に葬つた。其葬儀に當つては縣令以下會するもの數百人、皆吾が老爺を喪ふものゝ如く、之を惜んだ。(沼田君墓表)