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(一一)宅 德兵衞

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 宅德兵衞名は盛富、幼名甚之助、霞軒と號し、又徐六の別號があつた。文化十四年十月出生、家世々堺九間町の西に住み、【酒造業】酒造を業とした。先代德兵衞良香子無く、妻の弟盛富を以て嗣とした。卽ち德兵衞である。【資性】德兵衞資性溫和、能く養父の風を襲ぎ、儉素を勤め、家業に精勵した。【餘技】又圍碁を嗜み、茶湯を愛して煎茶並に抹茶の法に通じ書畫を樂んで亦自ら之を描いた。(墓誌)【會計御用掛加役】明治元年二月大阪裁判所會計御用掛加役を命ぜられ、(辭令書、會計御用掛一件控)【商法司元占】三月太政官會計局堺商法司元占に擧げられ、七月苗字、帶刀を允され、且又御用精勵の故を以て、金若干を賞賜せられた。(各辭令書)同二年二月四日享齡五十三歳を以て歿し、【墓所】寶樹寺先塋の次に葬つた。法號を德譽淨阿祐本居士といふ。(墓誌)