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(二六)河野佐太郞

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 河野佐太郞名は通黃、虬圃と號した。【河野進齋の男】進齋河野鳳渚の男、少林寺町に住し、【醫業】名醫の聞えがあつた。後薙髮して宗拙と號した。(家譜、佐海人名錄)佐太郞夙に父母を喪ひ、祖母に事へて孝、弟妹に對して友愛の情頗る濃かであつた。幼より讀書を好み、一日も之を廢せず、三十六歳より七十四歳に至る三十九年間、【町年寄役】町年寄役を勤めて倦むことを知らず、晚年脚疾を病んで再三退職を乞ひ漸く許され、在役中精勤の故を以て銀若干を賞賜せられた。明治二年八月十五日享年八十一歳を以て歿し、【墓所】正法寺先塋の次に葬り、法諱を養眞齋宗拙と號した。(家譜)嫡男雄吉(後雄意と改む)家業を繼ぎ、亦名醫として知られた。(家譜、左海人名錄)