第八十四圖版 渡邊重春和歌短册
弘化四年三月從五位下に敍し、上野介に任ぜられ(國學者傳記集成)【中津藩皇學校師範方】明治二年九月中津藩皇學校の師範方となり、一旦辭職の後、四年十二月更らに皇學校教授に任ぜられ、斯學翕然として興り、近縣之に比肩するものなきに至つた。後又中學校大助教となつたが(舊中津藩學制(日本教育史資料三))【神職】六年官幣大社廣田神社大宮司兼大講義に任ぜられ、七年龍田神社大宮司に轉じ、少教正に進み、正七位に敍任、十三年九月丹生川上神社宮司、十六年十二月大鳥神社宮司に歷任、二十三年五月九日病んで堺の僑居に卒した。享年六十、(國學者傳集成)【墓所】南宗寺墓地に葬つた。【資性】重春資性剛毅、謹嚴、權貴に媚びず、名利を求めず、最も國典に邃く、經史に通じ、詩歌を善くし、其作雄渾流麗、【長歌を能くす】長歌に至つては詞壇獨步の稱があつた。【著書】著書に櫻園長歌集、豐前志、古史傳拾遺、古史傳目錄、神異紀聞、教義誘解、休暇漫筆、名二負杜、打蟹論、東京日記、和歌浦の日記、龍田考辨、參考宇佐宮緣起、櫻園集、櫻園長歌集、櫻園文集、櫻園祝祠集、櫻園詩集等がある。(國學者傳記集成)