【德島の人】大島良次郞は安政元年七月阿波德島富田浦町に生れた、舊德島藩士である。(大阪府天王寺師範學校所藏履歷書)【數學を阿部有清に學ぶ】夙に碩學阿部有清に數學を修め、【教職】明治四年十月始めて德島藩の小學校副助教となり、十六年二月德島縣中學校二等助教諭に進み、同年十一月大阪府三等助教諭となり、同尋常師範學校、神奈川縣師範學校教諭を經て、【堺高等女學校教諭】三十六年三月堺高等女學校教諭となり、(履歷書、碑誌、大島文次郞氏囘答書)奉職前後三十七年に及んだ。【堺に歿す】既にして四十年五月七日享年五十四歳を以て堺に歿した。(碑誌)遺骨を德島市觀音寺に斂め、諡して實相院慈教良訓居士といふ。(大島文次郞氏囘答書)人と爲り、謹愿諄々として教へ、生徒皆其學德に服した。易簀に際し、曾て大阪府師範學校に於て薰陶を受けたるもの相謀り、弟子及び故舊五百有餘人、【紀念碑】四十一年三月碑を旭蓮社の塋域に建て、遺德を頌へた。(碑誌)