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(二〇)阿彌陀寺

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 阿彌陀寺正覺山と號し、一名寶嚴菴、(泉州志卷之二)【位置】市之町東五丁字向井領町にあり、淨土宗堺大阿彌陀經寺末、寺格准能分二等。【沿革】享祿四年比丘尼教智眞大德開創した。(堺南北寺菴本末開基宗旨改帳)寶永元年の記錄には、芳巖、清香、法雲三菴の名が見えて居る。(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)超譽生越中興して、享保十二年四月再建したものである。【本尊】本尊阿彌陀如來、【堂宇】本堂、庫裏、小書院、門あり、境内二百四十七坪餘、(社寺明細帳)【如意明神社沿革】境内に如意明神社址がある。社は俗に子卯の神、或は子亥の神とも稱せられ、又玉の明神とも呼ばれて居た。(泉州志卷之一)幕府造營社の一に加へられ、住吉社と同時に造營或は修復せられてゐた。(文化十年手鑑)甘露寺親長卿記に、「文明十五年三月二十五日三村幷子亥御前等に參詣す云々と見える。子亥の御前は卽ち此如意明神であらう。(泉州志卷之一)明治維新の際は向井王子社の頓宮として、陰曆八月五日には神輿の渡御があつたといふ。當如意神社及び末社彦天津積神社は、明治二十六年六月向井神社に合祀せられた。(向井神社調査書)