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(四四)廢專修寺

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 專修寺難波山と號し、【寺址】寺址は神明町東二丁字寺町(現堺市役所水道工事部所在)にあり、淨土宗知恩院末であつた。初め永祿元年黃蓮社玄譽一庵永徹、宇治の平等院より來つて淨土易行の法幢を樹て、【創建】一寺を創建して修行の道場とした。【開山】是より先、永徹、大阪一心寺より再興の功によつて法然自筆の名號を贈られ、難波の名號と稱し、依つて山號とするに至つた。(專修寺由緖書、堺鑑中)【本尊】本尊阿彌陀如來は運慶の作と稱し、明治四十五年二月國寶に編入せられ、外に杢阿彌作の齒吹如來、安阿彌作の地藏菩薩像等を安置した。然るに、明治二十六年三月第二十八世善譽の歿後法燈將に廢せんとするを見、大阪の人豐田宇左衞門氏、第二十九世説譽を助けて、同三十七年三月所有地大阪市西成區川岸町に之を迎へんとし、【移轉】翌三十八年十一月移轉修築を了した。(專修寺由緖書、社寺明細帳)

第九十三圖版 專修寺阿彌陀如來像(國寳)