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(一三)琴平神社址

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 【所在】俗稱海船金毘羅と云はれた琴平神社は綾之町西三丁にあつたが、明治四十三年七月高須神社へ合祀遷座した。(社寺明細帳、大阪府誌)【舊地址】今同丁番外一番地上田惣吉氏所有地となり、舊祠官桝田忠教氏が住してゐる。(奧田駿介氏談)舊本社は其儘に存し、末社の稻荷神社は鎭守として祀られ、寬政四年寄進の石燈籠其他の遺物がある。當社は寬政年間海船町に創立せられ、文化十三年前記の場所へ移轉した。(堺史料類纂)合併當時境内二百五十三坪方四間の本殿と社務所、藥醫門等があつた。(社寺明細帳)