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(一四)水天宮址

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 【所在】無格社水天宮はもと吾妻橋通四丁にあつたが、明治二十八年六月方違神社に合祀移轉した。【沿革】同社は安政六年北灣戸北邊に創立せられ、以來永世講を組んで維持したが、(松原武次郞諸事成就扣)明治二十八年税所篤三氏北波止に鐵工場を營まんとして境内を其敷地に充て、方違神社へ合祀するに至つたのである(猶篤三氏の企劃した鐵工場は實現せられなかつた。神山鈴吉氏談)【舊址】當社鎭座の舊址は東南隅は同丁二十三番地永來安次郞氏住宅、西南隅は南海鐵道株式會社堺發電所木柵の東端、東北隅は同丁七番地田中信一氏住宅、西北隅は前記發電所の一部に當るといふ。(高橋熊次氏談)本殿は舊址中央北端に南面し、其南に拜殿があつた。(方違神社書類綴)又舊址中央西寄に徑十位の小丘があつて榎の古木があり、小丘の前方に井戸があつた。此井戸は水道設備の不完全な頃には港内に碇舶した諸船舶の給水井として船乘業者より珍重がられた。(高橋熊次氏談)【合祀當時の狀態】又合祀當時には境内五百二十五坪六合、桁行一間、梁行五の本殿と桁行四間、梁行二間半の拜殿とがあつた。(社寺明細帳)