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(一四)專修寺址

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 【所在】專修寺はもと神明町東二丁字寺町にあつたが明治三十七年大阪市西成區川岸町に移轉した。【元祿二年の狀態】元祿二年の堺大繪圖によると神明町字寺町南側内農人町の角に南面し、東は内農人町筋、西は法傳寺、南は道路、北は北御坊に接した南側東西十九間三八寸(新間二十一間一三寸)北側東西十間二(新間十一間一)西側南北二十間(新間二十一間四)東側南北西側南北よりも稍々長き延長を有した境域であつた。【舊址】此舊址は周圍舊時の儘で北御坊の南、道路の北、内農人町筋の東、法傳寺の東が其に當る事は直に了解される。現在舊址の大部分は堺市役所水道課工事部となり、西方の一部に墓地を存してゐる。