【所在】朱座役所は宿屋町大道東側南角にあつて、初め朱座年寄朱座助左衞門掛屋敷を詰所とし、後仲間總持となるに及んで朱座役所となつた。(文化十年改堺手鑑)【元祿二年の狀態】其位置元祿二年の堺大繪圖で見ると、宿屋町大道東側南端に西面し、周圍東は六間筋、西は大道筋、南は道路、北は小西治右衞門屋敷に接した表四間半(新間四間五尺二寸五分)裏入二十一間(新間二十二間四尺五寸)内裏側入十一間(新間十一間五尺五寸)は間口九間(新間九間四尺五寸)の境域であつた。【舊址】此境域中表口は現在同町大道南端東側にある宿屋町十五番地小西豐次郞氏住宅西側、裏側南角は同町一番地山家貞次郞氏住宅、裏側北角は同町五十一番地松見音吉氏工場北端に當る區域であつた。元祿以前と思はるゝ宿屋町古繪圖(田畑和兵衞氏所藏)に右舊址を單に朱座、其東隣の南面表六間、入五間を助左衞門と記してゐるのは助左衞門屋敷より朱座役所を分つてゐた事を證するもので、元祿に至つて之を掛屋敷と記したものである。