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(二)魚店(うをんだな)

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 【魚類商の集團區域】一面漁港としての堺に魚商集團區域の現れるのは當然で、古來有名なものが二箇所ある。一は中之町と寺地町の境字山口筋から絹屋町筋迄、他は宿院、中兩町の字東六間筋であつた。【元祿二年の魚商の町名】元祿二年の堺大繪圖にも前者を魚棚及び魚棚東半丁とに分ち、後者を鹽物棚町と記してゐる。今日魚棚兩町は俗稱に殘り、【魚店】鹽物棚町は鹽物干物類を扱ふ問屋が軒を並べて魚店(うをんだな)と稱してゐる。從つて今日の魚店は所謂往時の鹽物屋の集團區域に當り、其北端宿院御旅所と阪堺軌道宿院停留場との間も元祿二年には鹽物町と稱して鹽物屋が多く住したが、今は其面影もない。【尾垂】僅に鹽物町南側に當る宿院町二十四番地川崎倉藏氏屋根並は德川時代町屋建築の尾垂樣式を今に傳へてゐる。
 此外弘化四年堺(南北東西)申唱町名獨案内には櫻之町西二丁(大道から五筋西)を魚店と稱してゐるが、現在では其名稱さへ傳承してゐない。

第百五十二圖版 魚店宿院町宇東六間筋)