国道三六号線の美々の御前水から早来へむかう道々沿いの切り割りをよくみると、支笏軽石流と下位の降下軽石堆積物の境界付近に炭化した立木の化石があることに気が付く。これは美々化石林とされたものの一部である。
この一帯は、前に述べた支笏降下軽石堆積物や軽石流堆積物によって形成された、標高二〇~三〇メートルの台地が発達しているところである。炭化立木は、この台地の露頭の支笏降下軽石堆積物1(Spfa-1)と支笏軽石流(Spfl)の重なり合った部分でみられる。化石の保存のよい場合には、樹幹に細い枝が下むきについたままの状態のものや、高さが四メートル、直径一〇~三〇センチメートルの直立した樹幹が〇・五~三メートルくらいの間隔で埋積されている。さらに、よく観察すると、これらの炭化木は、支笏降下軽石堆積物2(Spfa-2)層の上の風化帯に根を下ろし、樹幹の大部分はSpfa-1層に埋積されており、時には、樹幹の上部がSpfa-1とSpflの境目で東側へ折れまがっているものもみられる。こうしたことから、Spfa-2の降灰後、火山活動が一時休止し、Spfa-2の上部が風化し、植生の回復によって土壌が生成され、森林が成立したことがわかるのである。その後、Spfa-1の降灰により森林は立木のまま埋められ、まもなく、破局的な噴出活動によって流下してきた熱雲(軽石流=Spfl)により、Spfa-1層より上に出ていた樹木の上部は、なぎ倒され焼き払われてしまったのである。
この化石林を構成していた樹木はエゾマツと鑑定されており、その炭化木の14C年代値は三万年前を示している。
最近になって、市内南区藤野で、美々化石林とほぼ同時期の化石林が発見された。藤野付近には支笏軽石流の台地があり、豊平川の小支流がこの台地の西端を切って流れている。この川床に数本の根株が露出しているのを地元の自然愛好グループの人びとが発見したのである。根株は青灰色のシルトにがっちりと太い根をはり、年輪を読みとれるほど生々しいものである(写真3)。川縁の露頭には炭化した樹幹とその下に続いて焼ききれた樹幹と判断できる空洞などもみられる(図4)。これらは、川床に露出する根株と同じ時期に生えていた樹木とみられる。樹木の種類はまだ明らかにされていないが、根株の直下にある腐植質粘土の花粉分析によれば、エゾマツ・アカエゾマツを主としトドマツ・ハンノキをまじえた亜寒帯林がミズゴケの多い高層湿原(*5)の周辺に成立していたことが推定されるのである。
写真-3 藤野沢化石林にみられる炭化木の根
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図-4 藤野沢化石林柱状断面図 |
このように、支笏軽石流は、当時、この地域を美しく飾っていた森林を一木一草残さず焼きつくしてしまった。もちろん、動物たちもその例外ではなく、彼らは一片の骨すら残すこともできなかったのである。
*5 高層湿原(こうそうしつげん) 高位泥炭地の同義語。ミズゴケ・ホロムイスゲ・ツルコケモモなどの植物群落を高層湿原植物群落という。