遺跡の性格や文化系統がある程度わかるのは、二万年前ころの後期旧石器時代に入ってからである。千歳市の祝梅三角山遺跡(しゅくばいさんかくやまいせき)や河東郡上士幌町嶋木遺跡、河西郡更別村勢雄遺跡などでみられる黒曜石の剝片からつくられたナイフ形石器(図2)や斧状石器で代表される文化である。この段階では、まだ黒曜石、頁岩等の円筒形石核から、順次、石刃を打ち剝がしていく石刃技法はみられない。千歳市祝梅三角山遺跡の炭素測定年代(14C年代)では、二万一四五〇年±七五〇年B.P.という数値が与えられている。吉崎昌一によると、この種のナイフ形石器を特徴とする文化は、本州の日本海沿岸地域で発見されている初期のナイフ形石器に共通する性格をもち、巨視的には、同じ文化圏にふくまれていたと考えている。
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図-2 千歳市三角山遺跡のナイフ形石器 |
つぎの段階は、石刃技法によってつくられた大形石刃、彫刻器、厚手のスクレイパー等を主体とする石器文化である。紋別郡白滝村第13地点遺跡、同ホロカ沢一遺跡、北見市中本遺跡(なかもといせき)などが知られている。この文化は細石刃文化に先行するもので、前期白滝文化とよんでいる。
一万三〇〇〇年前ころから、細石刃とよばれる長さ四~六センチ、幅三~五ミリほどの小型の石刃が出現する。この石器は槍先形をした大型の両面石器を縦割りにして、平らな打面をつくり、打面を連続的に打ち剝がして細石刃をとる特異な技法(湧別技法)が特徴的である。細石刃をとる石刃核の製作技術のちがいによって、いくつかに細分されている。
旧石器文化の最後の段階は、有舌尖頭器とよばれる長さ六~七センチほどで、柄をつけるための茎(舌)部(なかでぶ)をもった石器を特徴とする文化である。他に片刃石斧、彫刻器などをともなうが、北海道では確実な土器の伴出例は知られていない。この文化は、磯谷郡蘭越町の立川遺跡から最初に発見されたので、立川文化ともよばれている。ほぼ一万年前ころからの弓矢の発生に大きなかかわりをもち、縄文文化への橋渡しの役割を担った文化である。