したがって、現在もっとも古いと考えられているグループは、貝殻を押しつけたり引きずったりして施文した文様を特徴とする貝殻文・条痕文土器群である。道南西部の住吉町式(写真1)、鳴川式、道東部の下頃部式、沼尻式土器(写真2)などである。
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写真-1 住吉町式土器(函館市住吉町遺跡) |
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写真-2 沼尻式土器(釧路市沼尻遺跡) |
これらの土器は、貝殻文・条痕文を特徴とする点ではおなじでも、器形からみると大きく異なっている。すなわち、道南西部では土器の底がとがる尖底土器が中心となるのに対し、道東部では平底土器になる。土器に伴出する石器の組み合わせにおいても、道南西部の尖底土器には、つまみのついた石小刀、石鏃、石槍、石錐、石斧、削器などの利器や石皿、磨石(すりいし)などの加工具、漁撈具である石錘などが加わり、明らかに東北地方の同時期の文化と密接なつながりをもって発達したものと考えられる。
これに対して、道東北部の平底土器群には、つまみのある石小刀がまったくなく、彫刻器や不定形の削器などがあらたに加わり、石鏃、石槍、石錐、石斧、石錘などは両者に共通している。
縄文時代早期文化の前半にみられる道南西部と道東北部の文化の対立は、じつはその後の縄文文化においてもつねに見られ、北海道の縄文文化の特色の一つともなっている。両者の境界線は時代によって移動することもあるが、ほぼ石狩と苫小牧間を結ぶ石狩低地帯が分離帯となる場合が多い。
縄文時代早期の半ばころ、道東北部のオホーツク海沿岸から釧路、十勝、上川などに「石刃鏃(せきじんぞく)」(図3)とよぶ幅一~一・五センチ、長さ五~六センチの中型の石刃の腹面に細かく加工した石鏃を特徴とする特異な文化が広がる。石器の種類や製作技法は、縄文文化の石器とはまったく異なり、むしろ旧石器時代のそれに近い。そのため、早期文化の最古に位置づける研究者もいる。土器の量は、他の早期遺跡にくらべて非常に少なく、まったく伴わない場合もある。このような遺物群がみられるのは、沿海州、シベリアと中国の黒竜江(アムール川)の本・支流域、それにサハリンである(図4)。北海道の縄文時代のなかで、遺物群総体の起源が大陸と関係づけられる唯一の例といってよい。
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図-3 湧別町市川遺跡出土の石刃鏃 |
図-4 石刃鏃の分布