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早期の土器

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 札幌市内より発見されている縄文時代早期の土器群は、ほとんどの物が平底を呈するもので、前半期に属する貝殻文(条痕文、腹縁文)・沈線文・刺突文を特徴とする土器群、後半期を構成する絡条体圧痕文・撚糸文・組紐圧痕文・微隆起線文等を複合施文する縄文土器群の二グループに細分することが可能である。

図-4 縄文早期前半期の土器(貝殻文・沈線文)

 T二一〇遺跡、S二六七・二六八遺跡、T二八一遺跡からまとまった良好な土器群が得られている。
 T二一〇遺跡の土器群は、貝殻条痕文・貝殻腹縁文・沈線文・刺突文を特徴としたもので、大半の物は沼尻式土器・虎杖浜式土器(こじょうはましきどき)・大楽毛式土器(おたのしけしきどき)といわれている土器群に対比される。しかし、貝殻の腹縁部を押し付け連続的にゆり引いた波状貝殻文の施文された土器、そして極微量だが乳房状を呈する尖底土器の底部がある。
 S二六七・二六八遺跡からは、無文土器、貝殻条痕文・貝殻腹縁文・沈線文を特徴とした土器群が得られている。T二一〇遺跡の土器群と同様で大半の物は沼尻式土器、虎杖浜式土器といわれている土器群に対比される。また、沈線文のみの土器で、沈線のなかに刺突文をめぐらす特異な文様の土器も検出されている。
 T二八一遺跡では、貝殻条痕文・貝殻腹縁文・沈線文・微隆起線文をもつ土器群が得られている。文様の構成は、T二一〇遺跡、S二六七・二六八遺跡の土器群に比較して複雑な文様とはならず、単純な構成となる。
 T二一〇遺跡にて検出された波状貝殻文土器、尖底土器、S二六七・二六八遺跡において検出された沈線文のなかに刺突文をめぐらす土器群は、従来の沼尻式土器、虎杖浜式土器といわれている土器群に対比することがむずかしい土器である。
 北海道南西部(特に渡島半島を中心として)には、かつては住吉町式土器・鳴川式土器(なるかわしきどき)と称される、同種の貝殻文をもつ尖底土器群が、道央以北の貝殻文平底土器群に対置するように多く使用されていた。これらの土器群の文様は、沈線文・貝殻腹縁文が多く用いられ、その構成はT二一〇遺跡において発見された土器の文様構成にたいへんよく似ている。
 また、T七七遺跡、T二八一遺跡では、少量であるが口縁部に微隆起線を大きく波型に貼付した土器が得られている。微隆起線上には刻み目を付ける例が多く、胴部には貝殻条痕文が施されている。いわゆる大楽毛式土器と称される土器に類似する。一般には微隆起線文をもつ土器は貝殻文平底土器群の中では新しい時期を構成するとされてきたが、札幌では古手と考えられる貝殻文土器と混在して発見されている。
 後半期の土器は、一般には東釧路Ⅱ式土器→東釧路Ⅲ式土器→コッタロ式土器→中茶路式土器→東釧路Ⅳ式土器の序列が示されている縄文土器群である。

図-5 縄文早期後半期の土器(縄文系)

 札幌市内においては東釧路Ⅱ式土器の発見はない。東釧路Ⅲ式土器は、S二三七遺跡、T一五一遺跡において良好な土器群が得られている。絡条体圧痕文・組紐圧痕文・撚糸文が帯状に複合して施文される縄文土器で、口縁が直立に近く立つ、もしくは大きく外反し底面が外に大きく張りだす。例外なく底部の張りだしの所に短い撚糸文を並列してめぐらす特徴がある。
 コッタロ式土器、中茶路式土器は、東釧路Ⅲ式土器に文様、器型とも非常に類似しており、帯状に文様帯が区別されていたものが、桶のたがのような微隆起線を貼付することによって区分するようになり、そしてさらに文様が複雑な構成となる。
 S二四二遺跡、S二五六遺跡、T四六六遺跡において多量のこの種の土器群が発見されている。縄文・撚糸文を器面に施文してから微隆起線文を貼付する土器、微隆起線を最初に貼付した後に撚糸文・絡条体圧痕文を施文する土器の二種があり、前者がコッタロ式土器、後者が中茶路式土器で、コッタロ式土器が古いとされている。
 T二一〇遺跡では、第Ⅰ群第二類土器と分類した羽状の撚糸文(不整撚糸文)・縄文が施文された鉢型の土器が得られている。いわゆる東釧路Ⅳ式土器であり縄文時代早期の最末期に位置する。口縁の径が大きく、底の形が丸底に近く口縁の大きさに比較して底部が小さい鉢型の器型を呈する。同種の土器は、T四六四遺跡、T四六五遺跡でも得られている。