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前期の土器

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 前期前半期の土器は、土器の底の形が尖底や、丸底の比較的大きな鉢型土器が特徴となる。土器の胎土には、多量の植物性繊維、細い撚糸等が混ぜられており、厚手で焼きも悪く非常にもろい土器である。
 札幌では、この種の土器は二種得られている。T三一〇遺跡からは、比較的単純な斜行縄文のみ施文される厚手の砲弾型を呈する尖底土器が得られている。いわゆる静内中野式土器と称される土器である。
 N一八遺跡からは、かつて発寒式尖底土器、厚手尖底土器と称される静内中野式土器とは、かなり趣の違う土器が発見されている。器型は砲弾型を呈し、底部に乳房状突起が付く尖底土器で、文様は太目・細目の撚糸文が斜め・縦位に施文され、内面・口唇上にまである。胎土中には、植物性繊維が多量に混入され、中にはかなり太い植物の茎が押しつぶされ混入した例もある。また細い撚糸も混ぜられ、撚糸の中には網をそのまま塗り込んだと考えられる網状の物も見られるという。さらに尖底部分にある突起には黒曜石の破片を突き刺す例も発見されており、比較的数も多いとされている。N一八遺跡出土の土器は、栗沢町加茂川遺跡より発掘されている、加茂川式土器に最も類似している。加茂川式土器は、静内中野式土器の仲間であり、その中でも比較的新しい時期の所産であろうとされているものである。
 縄文時代前期の後半期に至ると、北海道南西部(主に渡島半島部)・噴火湾沿岸では、東北地方をも含めた円筒土器の文化圏にとりこまれるようになる。
 円筒下層式土器は、a→b→c→d式土器と大きく四期に細分されている。石狩低地帯ではほとんど見られないが、円筒下層d式土器の最末期に属するであろう土器がT三一〇遺跡にて極微量だが発見されている。同種の土器は、石狩町花畔E遺跡(ばんなぐろEいせき)でも発見されている。