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北大式土器群

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 この種の土器群は、口縁部にめぐらされた円形刺突文が特徴となり、確実に後北式土器に後続するものである。かつては、後北E式土器とか後北D2式土器と称されていたこともあり、後北式土器の一型式と認識されていたものである。文様構成はバラエティに富み、最近では多くの細別案が発表されているが、基本的には三期に分類され編年的序列が示されよう。
〈一期〉
 微隆起線文を有し、体部には「後北C2・D式土器」の伝統である帯縄文が鋸歯状に展開施文される。道東部の報告例が多くあり、札幌市内では北海道大学構内にて得られているという。
〈二期〉
 斜行縄文、沈線文をもつもので、底部の形状は明らかに土師器の影響を強く感じさせる。K三九遺跡(北海道大学第一農場地点)出土の土器が好例である。
〈三期〉
 縄文が完全に消失し、擦痕、ヘラによる整形痕、無文をベースに鋸歯状及び平行の沈線文を施文する。円形刺突文は付けられるが、欠失したものも出現する。K一三五遺跡四丁目地区第Ⅷ群土器、N一六二遺跡第一号ピット(土壙墓)壙底面出土の土器、S一五三遺跡第二〇〇・五〇二号ピット(土壙墓)壙底面出土の土器、T四六五遺跡第Ⅲ群土器、K三九遺跡(北海道大学構内ポプラ並木東地区)土壙墓出土の土器がこの時期の土器にあたる。
 北大式土器は、後北C2・D式土器をベースに円形刺突文をもった北方系の土器(オホーツク式土器)の影響を受け成立し、二期に至り本州の土師器の影響を受け大きく変化したものと解すことが可能である。この土器は擦文式土器の初現的形態をなし、続縄文式土器のグループに含めて考えることはいささかためらいを感ずるものである。