明治十年、日本考古学史上において最初の科学的発掘調査を東京都の大森貝塚で行ったエドワード・S・モースは、明治十一年七月、貝類の研究と標本採集のため北海道へ来た。函館、小樽をまわって七月二十九日札幌に着いたモースは、札幌農学校のブルックス教授に迎えられる。ブルックス教授の案内で農学校近くに存在する低い塚を見る。モースのスケッチによれば、それらの塚は群集して一一個あり、そのうちの二個を発掘したが、土器はまったく出土せず骨片だけがわずかに出土しただけという。塚は最大のもので直径二〇フィート、高さは二フィート半であったという。
この記述だけでは、遺構の種類等はよくわからないが、あるいは、後に北海道式古墳とよばれた本州の高塚古墳の系統を引く末期古墳の一種かもしれない。
日本における近代考古学の祖ともいうべきモースによって、大森貝塚の発掘直後に札幌で行われたこの調査は注目に値する。