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河野常吉の保存論

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 このほかにも河野常吉は、遺跡の破壊されていく状況を道内各地の実例をあげて訴え、急いで対策をとることが必要であることを次のように述べている。
 右の如く遺跡遺物の湮滅により、予は是非共、之を保存して、学問上の研究に充て、又、後人に示して研究の材料に供せんと欲するなり。其保存の法は、別て、二となす。第一は実物保存、第二は記録保存であります。
 第一 遺跡中著名なるものは、之を人民の私有に帰せしめず、土地を画し官有地として、之を保存する事。又、遺物は之を博物館に蒐集する事。今日、博物館は規模小にして見るに足ざれば、宜しく規模を拡張し、陳列場を増築し、又、陳列品の蒐集を勉むべし。次に、各地の小学校に集め、目録を造り、保存すべし。今日学校の教員は教務用の標本の蒐集等に等閑なれば、此弊を改むべし。
 第二 遺跡遺物の保存は、必ずしも現物にのみ限るべからず。絵画又は記録にて保存するも可也。本道には遺跡の数も甚だ多き事なれば、悉く実物にて保存する事難し。又、遺跡のある土地を多く保存せんには、数多の未開地を残さざる可らず。経済上甚だ不得策なれば、遺跡其ものを実物にて存するは、現著なる場所に限り、其他は調査して絵画及記録にて残すべし。
(北海道先史時代の遺跡遺物並に人種)

 即ち、遺跡は国有地として保存し、遺物は博物館の充実や小学校等に集め保存活用することを説いたものである。
 次に遺跡遺物の保存は、必ずしも現物に限らず、記録保存の方途のあることを述べたものであり、現在の文化財保護思想の先がけをなしたものといえよう。
 明治四十二年に刊行された『札幌区史』では、さきの『札幌沿革史』に、ほぼ沿った記述が見られるだけで新しい知見は述べられていない。