もう一つは、それまで札幌およびその近郊で発見された遺跡の所在の概要を後藤寿一がまとめて報告したものがある。
それらを羅列すると、①南八条西一四丁目(厚手縄文土器片・磨製石斧片)、②南一二条西一八丁目(擦文土器片)、③南一四条西一六丁目(擦文土器・擦文文化期の住居跡)、④南一三条西一三丁目(擦文土器片・擦文文化期の竪穴住居跡)、⑤南一六条西一四丁目(磨製石斧)、⑥円山三丁目(厚手土器)、⑦円山一丁目(擦文土器)、⑧円山段丘(黒曜石片)、⑨伏見(縄文土器、石匙)、⑩藻岩村上山鼻(石斧)、⑪北大構内(擦文土器・須恵器・竪穴住居跡群)、⑫北一条西八丁目(甲胄・刀剣)、⑬北四条西一二丁目(刀剣)、⑭真駒内種畜所構内(擦文土器・擦文文化期の竪穴住居跡三軒)、⑮平岸天神山(チャシ・関東式類似の土器)、⑯平岸台地上冷水(竪穴状墳墓・擦文式土器)、⑰平岸台地(厚手式・後北・擦文土器)、⑱平岸台地裏(平岸天神山と類似の土器)、⑲月寒、⑳望月寒、21 陸軍射撃場付近、22 干城台、23 向ヶ丘(関東系土器類似の土器)、24 垂別(厚手式縄文土器・石器)、の二四カ所にわたって、遺跡の地形、出土物の概要などを報告している。なお、このなかの真駒内種畜場の擦文時代住居跡は発掘調査を行い、方形を呈し造りつけのカマドと煙道をもち、焼失した住居跡であることを明らかにしている。
以上に述べた昭和十年前後の調査は、札幌市内だけでなく、周辺の江別、恵庭、千歳などで行われた一連の調査の一環として評価されうるものであろう。