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行政発掘と埋蔵文化財包蔵地

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 昭和四十年代の後半に入ると「北海道第三期総合開発計画」の進展にともない、札幌市域の開発は急速に進み、そのなかで、自然と文化財はかつてないほどの変貌を経験しなければならなかった。道都札幌市の急激な開発の進行と人口の集中は、地下で静かに眠っていた埋蔵文化財を有無を言わさず白日のもとにさらす結果となった。
 昭和四十七年十月には、このような急速な開発に対処すべく、札幌市教育委員会に三名の専任嘱託職員が採用され、当面する問題となっていた白石神社遺跡の移転に伴う緊急発掘調査を十月二十日から十一月十五日にかけて実施した。この発掘調査報告書は、翌年の三月に「札幌市文化財報告書Ⅰ」として刊行され、その後の報告書の規範となった。
 札幌市の埋蔵文化財行政は、白石神社遺跡の発掘を契機として大きく一歩を踏み出した。昭和四十八年五月より十一月にかけては、その後の埋蔵文化財保護行政の基本となる「札幌市埋蔵文化財分布図」の作成にのりだし、翌年三月に「札幌市埋蔵文化財台帳」として刊行している。本報告は、西区、白石区、豊平区、南区の一部は実際の踏査にもとづいているが、中央区、東区、北区は、過去に行われた分布調査の報告を転載したものである。その結果は、西区一〇二、中央区四九、北区一四、東区二、豊平区七七、南区一七、白石区七三の合計三三四である。本台帳の作成された二年後の昭和五十一年一月に、その改訂版ともいうべき「札幌市埋蔵文化財台帳」を再版しているが、それによると、西区一二〇、中央区五六、北区二九、東区二、豊平区八七、南区八一、白石区七六の合計四五一カ所を数え、実に一一七カ所の増加である。
 昭和五十一年以降は、この遺跡数を基礎として、埋蔵文化財保護のための諸活動が行われ現在に至るのである。