文献に見えるエゾという言葉の初めの頃のものとして、久安六年(一一五〇)の『久安六年御百首』にある尾張守藤原親隆の、
えそかすむつかろの野への萩盛
こやにしききのたてるなる覧
こやにしききのたてるなる覧
(群書類従十一輯 和歌部)
また、久寿二年(一一五五)に没した藤原顕輔の『左京大夫顕輔卿集』では、
浅ましや千島のえそのつくるなる
とくきのや社(こそ)ひまはもるなれ
とくきのや社(こそ)ひまはもるなれ
(群書類従十四輯 和歌部)
とある。「とくきのや」とは毒気の矢であり、アイヌの使うブシ矢と考えられる。この二例によっても陸奥の津軽以北、渡島、千島に住む人びとが「エゾ」として認識されていたことが知られる。