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エゾの呼称起こる

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 古代国家の東夷、北を含むエビスあるいはエミシの呼称の政治的発想は、一二世紀を境にエゾに変わっていった。それは種族的違いをも意味することになる。このエゾの呼び名は、樺太アイヌの間に残っている「人」という意味のエンジュ(enju)あるいはエンチュ(enchiu)から来たもの、「アイヌ」という語と同義語なのであると、金田一京助は『アイヌの研究』で述べている。
 文献に見えるエゾという言葉の初めの頃のものとして、久安六年(一一五〇)の『久安六年御百首』にある尾張守藤原親隆の、
えそかすむつかろの野への萩盛
  こやにしききのたてるなる覧
(群書類従十一輯 和歌部)

また、久寿二年(一一五五)に没した藤原顕輔の『左京大夫顕輔卿集』では、
浅ましや千島のえそのつくるなる
  とくきのや社(こそ)ひまはもるなれ
(群書類従十四輯 和歌部)

とある。「とくきのや」とは毒気の矢であり、アイヌの使うブシ矢と考えられる。この二例によっても陸奥の津軽以北、渡島、千島に住む人びとが「エゾ」として認識されていたことが知られる。