写真-2 村垣淡路守範正
(市立函館図書館蔵)
以上のイシカリ改革の計画が問題になってきたこの折に、範正のイシカリ入りがなされたのであった。範正は二月二十三日に、オタルナイから銭箱まで海路で、銭箱よりは陸路でイシカリに達する。イシカリには二十九日まで滞在し、三十日にはツイシカリを出立し、千歳に向かうのであるが、この期間中、範正がなした事柄は、第一に在住の入植場所の選定(第七章参照)、第二に新道切開の命令(第五章参照)であった。
範正の『公務日記』は、イシカリ滞在中のことはいたって簡単で、胸中にイシカリ改革のことがあったはずなのに、不思議なことに一切ふれていない。一方、場所交替のことが一度は評決され、またその後、降格のうき目をみる水野一郎右衛門とも、ここで毎日顔を合わせることになるが、一郎右衛門のこともふれられてはいない。範正はイシカリでは、「石狩風聞書」の真偽に関し、自分自身では究明にあたらなかったようである。すでに、イシカリ改革の既定路線ができあがっていたためであろうか。