これより先、閏四月四日に、オタルナイでは「小樽内騒動」とよばれる事件が発生している。これは新政府の成立により、諸役金免除の請願から御用金の略奪にエスカレートをした事件で、首謀者は主に博徒の連中であったという。この事件には、シノロ村で村民に剣術を指導していたという、下国来蔵・荒谷兵三郎も参加していた。徳川幕府が崩壊した不安感と人心の動揺、また御用所の権威の消失がこのような事件の背景にあったのであろう。
明治の新政府軍と旧幕軍隊は、その後各地で抗争を続け、戊辰戦争に突入していくが、十月二十日に榎本武揚の率いる旧幕軍が鷲ノ木に上陸し、福山(松前)・箱館を占拠した。十一月十七日にオタルナイにも旧幕軍が進出してくる。井上弥吉は、配下が旧幕側にたつ人間ばかりで、身の危険を感じ、これより前の十一月六日に朝里の山中に隠れるが、弥吉の世話をしたのはイシカリ改会所の帳場役であった横山喜蔵であったという。弥吉は翌明治二年三月十一日に、やっと迎えの船でオタルナイより脱出する。五月十八日に旧幕軍は新政府軍の攻撃により降伏し、蝦夷地は再び新政府の支配下に戻った。