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堀と村垣の廻浦史料

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 ただ、安政四年の堀利熙の廻浦の場合、同行した仙台藩玉虫左太夫の日記『入北記』が、請負人の阿部屋から提出された書上を控えており、これによりある程度知ることができる(第三章第二節参照)。安政四、五年の村垣範正の場合は、範正の日記『村垣淡路守公務日記』があり、廻浦の様子がつぶさにわかる。その他の奉行によるイシカリ廻浦の実際については、まったく不明である。なお当時組頭であって奉行ではなかったが、栗本鋤雲が文久二年(一八六二)に廻浦した折の日記『北巡日録』もある。
表-4 奉行のイシカリ廻浦
 奉行名イシカリ入出立出典
1村垣 範正 安政4・2・24 安政4・2・29公務日記
2堀 利熙   4・閏5・24   4・6・2入北記
3村垣      5・4・27   5・4・28公務日記
4同       5・8・5   5・8・6  同
5竹内 保徳   6・9 ヨイチ御場所見廻日記
6津田 正路 万延1・5 白主御用留
7糟谷 義明 文久1 荒井金助事蹟材料
8小出 秀実 元治1・3 省斎遺槀