この旅で長岡藩一行はイシカリをどのように見たのだろうか。見聞の留意点を紀行から拾うと、まず交通事情に関心を注いだ様子がうかがえる。海路の船や船人や船繫ぎ場、陸路では難所の記事が詳しい。山道や宿泊所についてもよく書かれている。イシカリの漁業について注目されるのは鱒漁にふれていることで、他の紀行にあまり見られないし、魚見櫓に関心をよせた。さらに、農耕の適否が常に気がかりだったようで、オタルナイ川縁が田畑になりそうだとか、モーライの沢は田地によかろうと見立て、内陸部に入らなかったがイシカリの平原を遠望し、気候の心配をしながらも「耕所となさば、幾百万の鴻益もあるへし」と考え、幕吏から「田畑墾開は広大なり」との言を得て、農業開拓の可能性にいよいよ確信を深めた。
この紀行文中、イシカリの請負人を鍋屋と書いたり、支配人を円次とするなど不正確なところもあるが、その出身地やイシカリ詰幕吏の水野、立石、肝付等の消息を知る有益な手がかりを与えてくれる。