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与七郎の帰国

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 ②の書簡では、分領地の候補として第一に先の(三)をあげ、「附(つけ)たり」として(一)のうち、シラヌシ・トウフツよりチイライカ、及び(二)をあげている。ここでは(三)を第一としたのは、武四郎がクスリを推挙したことによるであろう。(二)は候補からはずされた。このころ、各藩では分領地獲得と選定のためにきそって藩士を派遣しており、「何となくよき場所を争候図合有之」という状況であった。そのために義勇は、佐賀藩から幕府への早期申請を督促していたのであった。この連絡もあり、犬塚与七郎の帰国となったのである。
何れ書中丈ニては不砕(粋)にも有之、得(篤)と届候哉モ難計ニ付、不得止犬塚氏遠遊之念慮を絶チ、為国家差急キ促帰程、御目ニ掛り得と場所其外之図合御聞被成度奉存候。

 ここで義勇は、書簡では不安なので、与七郎を急ぎ帰国させ、詳細を直接に報告する旨を伝えている。他に帰国理由を隠したのも、ここに原因があった。他藩の動向をにらみ、自藩の目論見をかくしながら、分領地の争奪合戦がくりひろげられていたのであった。
 ③は蝦夷地の廻浦が終了したことを報告しつつも、「委細」は書状では「太取紛(はなはだとりまぎれ)」、「不図合之義も有之」ので、面会の上でと述べ、他藩への情報もれを恐れていた。④は箱館の様子等を述べ、「蝦夷地一体之義に付、追て御拝姿委細に可申上候」と追伸でのべ、具体的な言及はさけている。