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温泉の「発見」

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 武四郎のこの定山渓ルート探索の成果に、温泉の発見があった。『燼心餘赤』の先の報告には、「昨年(安政四年)の春アブタより山越の節、私共始見附申候」とあるが、安政四年度はシイシリベツにて引き返している。温泉のことはアイヌの人々にはつとに周知のことでもあったので、同行のアイヌに聞いていたであろうが、実際に温泉をみたのは安政五年が最初であろう。温泉に関し、武四郎は『戊午日誌』で次のように記述している。
温泉は川の北岸甚よく涌き出る様に見しまゝ椴(とど)の木を五、六本倒し、其をもて石より石えわたし橋として、一同雪中に涌出ず温泉に浴して、先達(せんだっ)て中よりの辛苦を慰ける。

また、『後方羊蹄日誌』には、さらに詳細に以下のように記している。
扨川まゝ(シケレヘニウシ)下る。両岸は峨々たる絶壁聳(ニセイケシヨニマ)へし所氷の上を午後迄下りて幅十余間の川に出たり。是察縨(さっぽろ)の本川(シへツ)なり。氷の上を越見るに西岸は赤色黄色或は金碧の画山水かとも怪まる大岩壁(ホロヒラ)にて、其下通り難き故、東岸まゝ廿余丁下る哉、川の中より煙の立を見認たり。立寄て見る。岩間に温泉(セヽツカ)沸々と噴上、其辺り氷も融たる故、一宿して浴するに、温気能く肌膚に適し、数日の草臥一時に消すかと思はる。浴しながら頭を挙ば与市岳の山脈邐迆として来り、岩壁掌(タナゴコロ)を立る如く、実に奇と云べし。扨翌朝起て被りたる渋紙を見るに、温泉の蒸発気に湿しか、氷て白く霜の如くなり堅まりしかば取敢えず
 埋火をはなれぬ人よ思ひしれ
    雪の上にも旅寝する身を

 ここで武四郎は、「温気能く肌膚に適し、数日の草臥一時に消すかと思はる」と、温泉の効能を指摘している。武四郎は年来、疾瘡(皮膚病)に悩まされており、温泉の効能は自身の疾瘡に即した判断であったろう。