以上がこれまでに判明したハッサム村の農民名であるが、もちろんこれは安政四年(一八五七)以降入地した者のごく一部にすぎず、多くの入地と退転が繰り返された。これを表1によってみると、在住の入地が集中した安政四~五年の加籍・土地割渡しは鈴木長之助とおそらく八重樫直助の二人、同六年が浜田長左衛門、鈴木熊吉、青木力蔵、河野六右衛門の四人、以降慶応二年までが笹布源吉、理勘吉兵衛、森山与兵衛の三人、慶応三年以降明治二年までが坂本令宜、山中勘之丞、石塚市太郎、成田藤吉、笠井八五郎、和田吉蔵、平山常八、轟精吉の八人となっている。このことはまず第一に、安政四~五年に入地した在住が引き連れてきた農民といえるものは二人しかおらず、同六年までを含めても六人で、他はすべて退転したことを示している。第二には、慶応三年以降に八人以上の農民が入地しているという、これまでいわれていたことでは理解できない現象がみられることである。