慶応三年(一八六七)十月十四日将軍徳川慶喜が大政を奉還し、ここに二五〇年を超える徳川幕府は終焉を遂げ、かわって同年十二月九日に王政復古の大号令が発せられて維新政権が成立した。この政治的変動は全国に衝撃を与えるが、とりわけ蝦夷地にとっては大きな問題であった。それはほぼ全島と樺太・千島を含め、直轄していた幕府の倒壊によって管轄者は不在となり、社会的混乱と不安が高まることは必至であり、また幕末より急を告げていた樺太でのロシアとの関係が、この機に乗じてさらに悪化することが予想され、加えてこの政変による戦乱が東北地方に拡大されて、それが幕領地でかつ東北諸藩によって分領されている蝦夷地にも波及するおそれがあることなどによる。これらに対応するため、旧箱館奉行もまた新政権も、速やかに対処しなければならないことは必然であった。