なおこの時期、中央政府は同(慶応四)年閏四月二十一日に公布した政体書により、中央官制の改正と共に、地方行政においても府・藩・県の三治制とする整備を行った。ここで、藩は従来の各藩領であるが、新政府が旧幕府領を没収して設置していた裁判所を、順次に上位は府、下位は県として再編成していく。箱館裁判所はその最初として、同年閏四月二十四日に箱館府と改められたのである。
かくして旧箱館裁判所の総督は府知事(知府事ともいう)に、判事は府判事(判府事)、権判事は府権判事(権判府事)と改称された。ただ箱館は遠隔地であったためであろうか、中央での改称が即刻現地においても適用されたわけでなく、慶応四年七月十七日に至り官職名変更の布告が管内に出され、また同月二十二日に在箱館の各国領事にも通達されている。しかしなおその後も当地においては裁判所の呼称が使用されているが、その事情については今つまびらかにしえない。