すでに初等教育の項で述べたように、教育の近代化にとって、それをになう教員の養成は急務であり、官員の函館の小学教科伝習所への長期研修派遣、地元教師の講習、さらには東京などの師範学校卒業生の採用など、種々の対策が講じられたが、根本的な解決策としては、正規な教員養成機関の開設が必要であった。
明治十三年(一八八〇)の改正「教育令」は各府県師範学校の設置を義務づけ、同年小学教科伝習所は函館師範学校となった。十五年二月に開拓使が廃止され、札幌県がおかれたが、県は同月、創成学校にとりあえず師範速成科を置き、仮師範学校と称した。初等・中等各三年として三〇人の生徒を入学させ、官費によって小学校教員の養成を行った。