移住民が増加し、集落・村が成立するにつれて、そこには小祠が建立され、住民によって祭祀が営まれた。法的にみればこれらはすべて公認を得ない無願の神祠で、開拓使設置以前に建立された発寒村の稲荷社、篠路村の八幡社もこの例外ではなかった。その中から主として明治三十年以降かなりのものが公認されたが、無願のままで太平洋戦争終結をむかえたものも多く、中途で消滅したものもある。したがって、これら神社の創始(公認ではない)はもちろん、存在すら明確に確認できる史料は乏しく、後年の編纂物等による以外にない。それだけ記述も確実性に欠けることとなるが、しかし集落民の意識としては、官の公認・未公認にかかわらず小祠の創置こそが神社の創建であり、本書でも基本的にはこの視点によって記述したい。