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中央寺

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 十四年九月十日、曹洞宗務支局信徒総計六五人の名で寺号公称願が提出された。そこでは、当支局は中教院の当時すでに葬儀等を取扱ってきたが、曹洞宗務支局と改称されたため「田舎の爺嬢輩ハ何カ公〓ノ如キ思ヲ生」ずることを寺号公称の必要な主な理由としており、すでに東西両本願寺別院が公認されているこの時期の文面としては、かなりに異様である。またここでは檀家が六〇〇戸に達したとされているが、これは後述するように近隣農村を含めた数と思われる。同年十二月二十日に曹洞宗管長の添書が出され、翌十五年一月十二日に実相山中央寺として公認された。