一七〇〇年代末から一八三五年頃にかけて、アメリカでは第二次のリバイバル(信仰復興運動)が起こった。人びとは神への悔い改めと回心を強く促され、キリスト教界の状況を一変させた。おりしもアメリカ経済は産業革命の前夜であり、人びとは東部から西部へ向けて移動していた。人口の激しい流出は、社会の解体・再編成をもたらした。キリスト教界もまた、既存の宗教的権威を批判したヨーロッパの啓蒙主義の影響や道徳的頽廃による宗教的関心の低下に、危機意識を強めていた。
当時、アメリカの教会は、イギリスの国教会やドイツの領邦教会、また移住当初の東部諸州における政教一致体制を支えた教会とは異なり、政教分離原則に立って、信徒がそれぞれの信仰に基づき自発的に結集する自由教会であった。この時代、各教派はそれぞれ固有の教理や教会制度を主張し、教勢の拡大を図るようになった。信仰復興の熱情は、アメリカ社会の拡大とともにアメリカのすべてを、ひいては世界をキリスト教化することに向かわせた。それは国内的には西部伝道となり、国外においてはアジア宣教として展開した。
アメリカ西部伝道は、新しい伝道の形態と担い手を生み出した。たとえば、教会のないところでの天幕伝道集会、開拓地を巡回する教職制度の採用、さらには自発的な志をもって活動する信徒伝道者の養成であった。また、週の中間に持たれる祈禱会を盛んにし青少年への聖書教育の必要から日曜学校を育成した。一九世紀の信仰復興運動は、奴隷制度の廃止や道徳的頽廃に対抗するための禁酒の奨励など、社会問題への取組をも提起した。
諸教派が競って伝道に励んだ結果、アメリカ移住時代初期の主流教派であってピューリタンの後継者である会衆派や長老派のほかに、メソヂスト派やバプテスト派が有力な教派として成長した。教派の意欲的な宣教姿勢は、教派間の競争をもたらす一方、教派の協調をも生み出した。一八一〇年には、マサチューセッツ州などニューイングランド諸州を基盤とした諸教派が共同して、アメリカン・ボードという伝道協会(ミッション)を設立した。アメリカン・ボードは、「宣教とは、世界の道徳を革新することである。戦争をやめさせることである。いずれの国をも聖別することである。あらゆる村に学校と教会を建てることである。あらゆる家庭に聖書と朝毎(あさごと)、夜毎(よごと)の祈りをもたらすことである。神の幕屋を人々の間に打ち建てることである」(大山綱夫訳、一八二七年、第一八回記録)との使命感に促されて世界宣教に乗り出した。他の教派・ミッションも、その志すところは同じであった。